サラリーマン時代の私はヒドくヤクザでパワハラなリーダーをしていました。そんな私の言葉でも、時には相手の未来を変える力を発揮することもありました。実例を紹介しつつ、プロのプライドについて考えます。
最初に入社した会社の同僚の転職エピソード
社会人1年目で仲良くなった同僚と、週末になると高田馬場まで遠征して、お気に入りの女の子の店員が居るパブに通っていました。
彼とは、円形テーブルの向かい側で二人で飲んでいる女性にカクテルを奢って、ボックス席に誘って盛り上がるという、モテない男どおしのナンパ(当時はガールハントと言っていましたが)作戦の相棒でした。
私が2社目に転職した後で、彼も別の会社に転職しました。私は小さな会社への転職でしたが、彼は有名な大企業へ転職しました。
私は小さな会社で、工場で使われる画像認識を使った自動検査装置を一人で黙々と委託されて開発をしていました。青春の輝きとも言うべき辛くも楽しかった時代です。
彼はと言うと、新製品のマニュアル(取扱説明書など)の制作と梱包までを任されていました。そんな彼から、後になってこんな武勇伝を聞かされました。
新製品の出荷開始直前に、梱包済みの商品のダンボール箱が2万台分ほど倉庫に積み上げられていました。
ところが、彼の単純なミスのせいで、マニュアルを全品差し替えになりました。
私の会社だったら専門業社に委託して、その会社がアルバイトを雇って大人数で一気にやるので、私が彼の立場だったとしても、たいした問題としては捉えていなかったと思います。ミスは起こり得るからです。
しかし彼の会社は違っていました。
彼が上司から言われた命令は「1週間以内に、お前一人で2万台全部の梱包を開けて、マニュアルを差し替えて、元どおりにせよ」でした。
冷房の効いていない大きな倉庫の中で、汗まみれになりながら、彼は黙々と一人でマニュアルの差し替え作業を行ったそうです。1週間で間に合わせたということです。
今ならパワハラで訴えられるかもしれない彼の上司ですが、当時は彼の会社特有の「プロの掟」だったのかもしれません。
「自分の尻は、自分で拭け」
最後の1秒まで諦めない
その武勇伝が頭の片隅にあったからかもしれませんが、こんな私のエピソードがあります。
当時の私は「プリンタードライバー」というプリンターを制御するソフトウェアを開発するグループのリーダーをしていました。30人ほどのグループです。
プリンタードライバーの使い方をユーザーに説明するマニュアルは別の専門の部門が行っていました。
最初は紙の製本されたマニュアルでしたが、時代の流れとともに電子化され、PDFファイルをプリンタードライバーのインストール用CD-ROMに入れるようになりました。
それにともなって、プリンタードライバーチームとマニュアルチームは密に連携しながら仕事を進めるようになりました。スケジュールもお互いどうしでうまく同期を取らなければなりません。
CD-ROM業者への出稿1週間前になって、マニュアルチームのリーダーから電話がかかってきました。
「来週の納期に間に合いそうにないので、そちらのスケジュールとの調整をお願いしたいのですが・・・」
「その前に、私なら最後の1秒まで諦めませんよ」
ガチャっと、いきなり電話を切られてしまいました。
また相手を怒らせてしまった・・・
私は当時はヤクザでパワハラなリーダーだったので、グループ内はもちろん、他部門の関係者をも怒らせてしまうことがよくありました。
骨折していたのに頑張る
後になって、マニュアルチームのメンバーから当時のことを聞くことが出来ました。
「あの時はリーダーは足を骨折していたんですよ」
「えっ?・・・」
「いつもはそういう時は会社を休んで休養を取る人なんですけどね」
「でも納期を守ってくれましたが・・・」
「松葉杖を突いて出社して、夜遅くまで仕事をしていました」
「悪いことを言ってしまった・・・」
「でもそれで納期が守れたことを喜んでいました」
私の心無い言葉が、彼女のプライドに火を点けたってことでしょうか?
それからは、彼女からエクスキューズの電話はかかってこなくなりました。またしても女性から嫌われてしまったかとは思いましたが、それでも一つの信頼関係が生まれたのは良かったと思います。
まとめ
もう30年以上昔のことなので、現代のビジネス環境とは大きく変わっていると思います。
しかし、そうやって生き抜いてきた無名の大人たちが世の中にはいっぱい居ます。
自由とは、好き勝手なことが出来るという意味ではなく、良い方向に自分を変えていくことが出来る、という意味だと思います。
「ジコチューで行こう!」の意味はよくわかりますが、それを本人たちが行動でどう表現するかで、世の中の評価は変わると思います。それが「自己責任」だと考えます。
ではでは、きらやん