自由の音楽と言われるジャズ。今や世界で活躍している上原ひろみが、巨匠となったチックコリアと共演しているライブを聴いて、あらためて「自由」の意味を考察してみます。
上原ひろみとチックコリアのライブ
2007年9月にブルーノート東京で行われたライブ「Duet」が有名ですが、以下の映像がそれなのかは私にはわかりませんが・・・
チックコリアとハービーハンコックの武道館ライブ
1978年のワールドツアーの一環で日本でも武道館で二人のライブが行われ、私も職場の仲間や友人たちと聴きに行きました。当時はジャズが日本でも流行っていた時代でした。
以下は当時の映像です。武道館のライブでもチックコリアがハービーハンコックのピアノの上に上がってピアノ線をハープのように弾くパフォーマンスを観せていました。
上原ひろみの野外ライブ
彼女の「自由奔放さ」がわかるライブ映像だと思います。
まとめ
巨匠となったチックコリアからは、40年前の武道館ライブで感じた「自由奔放さ」は感じられません。上原ひろみを包み込むような「空気感」を感じます。
ところが、上原ひろみの演奏は明らかにチックコリアを意識しているように聴こえます。野外ライブで魅せる「自由奔放さ」ではない。
一見不自由な演奏をしているようにも見えますが、私にはそれが「自由」の本質のようにも思えてきます。
もちろん、チックコリアが抑えた演奏をしているので、それに上原ひろみが合わせているという構図なのかもしれませんが、60歳を過ぎるとそういう光景に感動を覚えます。
技術者は「自由度」を3次元で考えます。いわゆるXYZ軸の3D空間なわけですが、音楽は時間軸という1次元の芸術です。
その1次元から3次元を超えた、もっと言うと、時空を超えた表現ができる事に、理論では説明できない感性や真実に直面してしまいます。
「科学技術は、音楽に憧れる」
バッハの「Air(G線上のアリア)」のような「空気」のような存在になりたいと思うのですが・・・
ではでは、きらやん