私が管理職になった時に、最初に上司から貰ったアドバイスの言葉が「逃げ道を作っておけよ」でした。その本当の意味を自覚したのはそれから10年後くらいだったと思いますが、この言葉の大元は豊臣秀吉でした。
変人な上司
「オレの上司は変人ばかりなんだよなぁ・・・」
「おまえが変人だからだろ」
「オレはまともだよ」
「オレから見ると明らかに変人だけどな」
「どこが?」
「変人に好かれている」
「・・・」
上司のどこが変人なのかと言うと、ある上司は自分の席で机から鏡と櫛とハサミを取り出して、勤務時間中に自分で自分の髪を切って整えていました。
その上司のことをケチな変人だと思っていましたが、自宅に招待された時に驚いてしまいました。
神奈川県伊勢原市の住宅街の一角でした。200坪の敷地に80坪の2階建てのコンクリートの邸宅が建っていました。ヘーベルハウスだとか聞いたことがあります。
1階の一角に8畳ほどの趣味の部屋があって、ラジオコントロールで飛ばす模型飛行機が天井近くから10機くらい吊るしてあり、工作が出来る工具や机などが完備されていました。
職場での徹底したケチが、このようなライフスタイルを生んでいるのを実感しました。
「変人も悪くない」
部下の叱り方
このアドバイスを受けて、最初に実践に移したのが「部下の叱り方」でした。
私はそれまでは、会議室に部下を呼んで、Face to Faceで面と向かって頭ごなしに叱っていました。
それを変えて、職場でグループメンバーにも聞こえるように叱るようにしました。
さらに、頭ごなしに叱るのではなく、褒めつつ叱るように変えました。例えばこんな感じです。
「この仕事はお前にしか任せられなかったから任せたのだ」
「他のヤツに任せていたら、もっとたいへんなことになっていた」
「だから、こんなミスは二度とおかすな」
「任命したオレが困るのだから、頼む」
この叱り方の効果があったのかどうかは、表面には出てこなかったのでわかりませんが、少なくとも、ミスをした当事者をサポートしようと周りが動き出したことは確かです。
自分を守る
次の段階で気をつけるようにしたのは「逃げることで自分を守る」ということです。
つまり、管理職の自分が潰れたら部下を守れなくなるからです。
その為には、常に「逃げ道を用意しながら行動する」ことを心がけるようになりました。
戦わずして勝つ
豊臣秀吉の名言の一つに以下の言葉があります。
「敵の逃げ道を作ってから攻めよ」
“豊臣秀吉が、織田信長より優れていた点とは?” 歴史に学ぶ「戦わずして勝つ」法 >>> ダイアモンド・オンライン サイトへ
この「欠囲の陣」は徳川家康にも受け継がれ、「夏の陣」で徳川家康がそれを使った結果、徳川・豊臣軍ともにたいした痛手を負わず大阪城が「落城」しました。
「逃すが勝ち」
まとめ
広島人にとっては、この「逃げ道を作っておけよ」は特別な意味を持ちます。
「逃げ道の無い死に方」を20万人以上の一般市民がさせられました。
だから、私は初めてアメリカに出張で行った時に、向こうの担当者に言いました。
「No More Hiroshima」
すると即座に向こうの担当者が言い返しました。
「Remember Pearl harbor」
しばらくの間、お互いに無言で睨み合いましたが、どちらともなく笑顔になりました。
胸の内を曝け出すと、一時的には険悪になるかもしれません。しかし、笑えば未来に向かって前進できると信じます。
重要なのは「悲劇を二度と起こさない」ことだと思います。
ではでは、きらやん