現代人が日々の生活をしていくのに「何の役にも立たない」天文学と音楽がなぜこれほどまでに人々を魅了するのでしょうか? 専門家の対談を通して、天文学と音楽というロマンの世界を探検してみませんか?
宇宙の真理への好奇心からイジメにあった小学生時代
小学校4年生の頃の「宇宙はどうやってできたのか?」という好奇心から、最初は学校の先生や親などの身近な大人たちに質問をしてみたのですが、納得のいく答えは得られませんでした。
そこで、学校や街の図書館からソレっぽい本を借りてきては、学校をサボってこっそり自室に篭ってその本を読み漁りました。
そうこうしているうちに「アインシュタインの相対性理論」を大人たちにも分かりやすく説明が出来る子供になりました。
その結果として「変なヤツ」と思われ、女子のイジメグループからイジメを受けるようになります。そしてその状況を救ってくれたのも女子友達たちでしたが・・・
「持つべきは、女友達」
第一回「世界の真理」への好奇心から生まれた天文学と音楽
「【連載】天文学と音楽 第一回」から抜粋を引用します。
奥村:天文学と音楽と聞くと、ほとんどの人は関係のない学問同士という印象を持つと思うのですが。
高梨:普通はそう思いますよね。でも宇宙と音楽の共通点って以外なところにあるんですよ。
例えば「ハーモニー」という言葉。音楽だと「和声」みたいな意味だけど、元は天体の運行から来ている言葉なんです。
惑星はお互い規則正しいリズムで運行しているから、昔の人はそこに「調和」という考え方を持ち込んでこの言葉を使っていた。
お化粧の「コスメティクス」もそうですね。
宇宙のことを「コスモス」っていうけれども、「美とは何か」っていう問題を考えた時に、昔の人にとってそれは「調和」の問題と同じだった。
だから「規則的に動いている天体について知ること」と「美について考えること」はもともと同じだったんです。
奥村:天文学と音楽がもともとは同じ問題を考えていたのは面白いです。
高梨:ケプラーという天文学者は惑星の運行に綺麗な整数比が登場することに目を付けていて、「天体の音楽」とその規則性に名前を付けています。
そういう意味で、天文学も音楽も最初は独立した学問ではなくて、世界の真理を知りたいという営みでした。
今の時代に天文学について考えなおすのは、実は音楽とは何かを考えなおすのと同じ構造があると思っているので、今こうして両者がコミュニケーションを取っているのは面白いですよね。
奥村:天体の運行というところでいうと、月の公転周期と自転周期が1:1だったり、海王星と冥王星の公転周期が2:3という整数比になっていたり、
いろんなところにきれいな共鳴構造があって、それらが音楽として認識されていたのも納得できます。
佐古:音楽の基礎を作ったのは先ほど名前があがったプトレマイオスを始め、プラトン、ピタゴラスといった人たちです。
彼らはまさに「調和」という問題について考えていました。
例えば惑星の運行周期が2:3みたいな整数比で表されているという話がありましたが、これは音楽の理論で言うとドとソのような「5度の音程」の周波数の比と同じなんです。
当時は4度、5度、8度(オクターブ)の和音が人間にとって気持ちのいい和声(協和音程)として知られていて、これを発見したのがピタゴラスだったと言われています。
それがローマの音楽の教えにつながって、西洋音楽の基礎になっていった。
天文学や数学における整数比の構造が音楽でも同じだったのは面白いですよね。
現代でも、天体の周期に着想を得た曲を作っている作曲家も出てきていて、一周回って科学と音楽が出会っている時代になっていると感じます。
「科学技術は、音楽に憧れる」
第四回 科学に必要な感性。アートに必要な理性。
「【連載】天文学と音楽 第四回」から抜粋を引用します。
奥村:個人的に天文学と音楽が別のものだって思われている原因の一つは理性と感性の問題なんじゃないかって気がするんですよね。
高梨:天文学は論理的な学問だと思われているだろうし、実際数学というロジカルな言葉で表現するんだから当然といえば当然なんだけど、かといって科学は理性だけかと言われるとそうでもない気がします。
最先端の研究ほど感性的なもの、具体的には様々な物事をつなぎ合わせるセンスが必要な時が多いんじゃないかなと考えることはあります。
奥村:「別の分野の方法を使ってこの課題も解決しよう」みたいに、課題解決に異分野のつなぎ合わせのセンスが役立つことがある気がします。
佐古:音楽が完全に感性で作られるかというとそうではないと思っていて、それこそ音楽理論では気持ちのいい和音の作り方などの知見が集約されていますから、
ちゃんと音楽を理論として勉強すると、誰でもある程度は綺麗な音楽は作れます。
ただそれがヒット作になるかというとそれはまた別の問題な気がしますね。
奥村:今IBMのワトソンみたいな人工知能に料理のレシピを作らせてみようとか、病気の診察をさせてみようとか、そんな話が話題になっていますが、
そのうち科学や作曲の営みがコンピュータで代替出来るのかといった話も出てきそうですね。
「感性が、理性を完成させる」
第六回 科学者と音楽家の考える生活の豊かさについて
「【連載】天文学と音楽 第六回」から抜粋を引用します。
奥村:クラシックにしろ天文学にしろ、それぞれ面白い動き方をしても、それが人々にどのように受け入れられるのか、
そもそもクラシックとか天文って本当に必要とされているのか、といった現実的な視点も必要なのかなと思います。
高梨:今は天文学の意味が分かりづらくなっている時代だと思います。
「今は」と言ったのは、それまでは明確に天文学のニーズがあったからです。
3000年前とかは、いつ種を撒いたらいいかという暦を作る上で星の研究が必要とされていました。
そのうち、神様が作った世界を理解するために、夜空を観測して神の真実に近づくべきだと考えられるようになりました。
それが次第に神の存在感が落ちてきて、1800年代に大航海時代がやってくると、軍事力や国力を高めるために天文学が必要とされるようになったんですね。
第二次世界大戦後になると、それまでは役に立たない学問と思われていた宇宙物理学が注目され始めます。
当時日本は経済立国を目指していましたが、経済大国になるためには資源がないので人材、特に科学技術人材を排出しないといけませんでした。
そのためには理系の学問をもっとやりましょうということで、宇宙物理学も積極的に学ばれていました。
ただ、天文学の社会的ニーズが明確だったのはここまでです。
今は低成長の時代で、宇宙物理学にかける予算も大きくなっているため、大きな予算を「ただ知りたいから」という理由で使うことは当然出来ません。
天文学がどうやって人の生活の役に立つかを考え、説明出来ないといけないと思っています。
佐古:古代では権力者が音楽を司っていたし、バロックの時代には貴族が羽振りの良さを示すために音楽を利用したりしていた。
20世紀に入ってからもナチス・ドイツやソ連が自国の音楽を国威高揚のために使っていたので、権力側のニーズのもと音楽が必要とされていたのは天文学と似ていますね。
今の時代における音楽は、非日常なものを生活にどう提供していくかという役割を持っているのかなと。
BGMも、日常の中に音楽を取り入れて楽しかったり幻想的だったりいろんな空間を作ることが出来ます。
自分の生活のなかにプラスアルファの価値を取り入れたいってなった時に、手っ取り早い手段として音楽があるというか。
僕らがクラシック音楽を演奏することで、そうした非日常体験をしてもらって日常と非日常のメリハリを付けてもらえたら嬉しいです。
それが結果的に人の心を豊かにしたり満たしてくれたりすると思っていて、そうした役割が音楽に求められていると感じます。
音楽をやっている人間としては、新しい非日常の空間を求めていかないといけないのではないか、
そういう背景のもと、コンサートホールを離れて街角やいろんな場所で演奏したりする試みも増えていますよね。
今回のように異分野の人と共通点を見出しながら演奏会を作ることで、新しい非日常の世界を聴衆に届けたいと思っています。
まとめ
今回は、引用だらけの「超手抜き工事」で申し訳ありません。
バッハの曲がゴールドディスクに刻まれて、ボイジャー1号/2号に積まれて、宇宙空間を時速6万キロメートルで航行中です。
数万年後に地球外知的生命体との遭遇を夢見て、バッハの名曲が宇宙を旅していると想うと、オジサンはロマンを感じます。
「音楽は世界語であり、翻訳の必要がない。そこにおいては、魂が魂に話し掛けている」
by J.S.Bach
「世界語」を「宇宙語」に書き換える時代が来るのかもしれませんが・・・
ではでは、きらやん