【Xerox】伝説の「Alto」が復元へ!ジョブズが盗んだマッキントッシュGUIデザインの原点とは?!

直感的な操作が可能なグラフィカルユーザインタフェース(GUI)の実現により、コマンドを手で入力していたコンピューターが一気に身近なものになりました。GUIを世界で初めて実現し、今は亡きスティーブ・ジョブズ氏がインスピレーションを得たと語っているコンピューター「Alto」を再びよみがえらせようとするレストアプロジェクトが進められています。

GIGAZINEの記事から引用

画面上にグラフィックを表示し、マウスで操作することによって直感的な操作が可能なグラフィカルユーザインタフェース(GUI)の実現により、それまでは暗号のようなコマンドを手で入力していたコンピューターが一気に身近なものになったと言われています。そんなGUIを世界で初めて実現し、今は亡きスティーブ・ジョブズ氏がインスピレーションを得たと語っているコンピューター「Alto」を再びよみがえらせようとするレストアプロジェクトが進められています。

Y Combinator’s Xerox Alto: restoring the legendary 1970s GUI computer
http://www.righto.com/2016/06/y-combinators-xerox-alto-restoring.html

Apple ComputerのMacintoshにはじまり、Microsoft WindowsをはじめとするOS、そしてスマートフォンのように画面を直接操作するタッチ型インターフェースなど、コンピューターの普及にはGUIが不可欠なものだったといえます。そんなGUIを世界で初めて実現したコンピューターが、Xerox(ゼロックス)社が1973年に登場させた「Alto」でした。

Altoはオブジェクト指向プログラミング言語の「Smalltalk」を初めてサポートするコンピューターシステムで、世界で初めてマウスをコンピューターの操作に用いたことはよく知られている通りです。また、ディスプレイに表示した内容をそのまま印刷物として出力できるWYSIWYGエディタの技術や、コンピューターどうしをつなげるイーサネットによるLAN接続を初めて生みだしたのもこのAltoプロジェクトであり、現代に通じるコンピューター技術の多くがこの段階で形づくられていたといっても過言ではありません。そんなAltoプロジェクトの中心的役割を担ったのが、「パーソナルコンピュータの生みの親」と呼ばれるアラン・ケイ氏です。

ケイ氏はベンチャーキャピタルのYコンビネータにAltoの実機をレストアのために貸し出し、コンピューターエンジニアのKen Shirriff氏が実際の作業を担当する形でAltoの再生計画がスタートしようとしています。

これから作業に入ろうとするAltoの姿がムービーに収められ、YouTubeで公開されています。

Seminal Xerox Alto arrives for restoration – YouTube

このマシンこそが、現代のコンピューターの原点ともいえるゼロックスAlto。Altoは合計2000台あまりが生産されてゼロックスの社内で活用されましたが、市販されることはなかったとのこと。その意味でも、現存しているAltoの実機は貴重なものといえそう。

ジョブズ氏が大きく影響を受けたマウスもそのまま残っています。Altoのマウスはボタンが3つあるタイプです。

ムービーには、Altoの傍らに置かれたMacintosh SE/30も登場。作られた年代は10年ほども違う2台のコンピューターですが、Altoの延長線上にこのMacintoshが存在しているといえます。

最初のAppleコンピューターで成功を収めていたジョブズ氏は1979年、ゼロックスのパロアルト研究所を訪問する機会を得ます。そこでジョブズ氏が見たものこそがAltoだったわけですが、ジョブズ氏はこの時3つのアイデアを見せられたものの、GUIの素晴らしさに目を奪われるあまり、残りの2つは理解できずにいたとのこと。その2つは「オブジェクト指向プログラミング」とコンピューターどうしがつながる「コンピューターネットワーキング」だったとのことですが、いずれも現代につながる技術が1980年に入る前の段階で形づくられようとしていた点は驚きです。

筐体から取り出されたコンピューターの心臓部。

背面には大きな冷却用ファンが4つ。

別の面を見ると、おびただしい量の電線でつながれた端子が並んでいます。

これは、後に登場するコンピューターの基板を接続するためのコネクター部分。現代のコンピューターではおよそ見ることがないゴツい端子や、ケーブルを巻き付けてハンダ付けするターミナル端子など、年代を感じさせるものばかり。

何やら青いボックス状のものは、各部に電源を供給するスイッチング電源。向こう側の3台が+15V、-15V、+12Vを供給する電源で、手前の大きなものが+5Vと-5Vを供給する電源とのこと。

そして、コンピューターの心臓部であるロジックボード類がこれ。現代のマザーボードほどもある大きさのボードが10枚程度使われている模様。

レバーを緩めてボードを引き出すと……

演算を担当するALUボードが出てきました。心臓部には当時人気があったというALUチップ74181が4個使われており、その周辺にはALUチップの演算に必要なレジスタ(記憶装置)が敷き詰められています。

そしてこちらがメインメモリを搭載するボード。Intel製メモリチップ「4116」を80個搭載するボードのメモリ容量は、なんとこれでたったの128KB。レストアされるAltoはこのボードを4枚搭載して512KBのメモリを実現した「Alto II XM (eXtended Memory)」と呼ばれるモデルとのことですが、数値の少なさに時代の流れを痛感する瞬間。

本体には、記憶メディアを挿入する巨大なスロットが設けられています。ここで使われているのは、おそらくDiablo Systems社のMEMOREXと呼ばれるモデルとのこと。

そしてこれが記憶用メディアカートリッジ。15インチという巨大なハードディスクを内蔵していますが、記憶容量はたったの2.5MBだそうです。

現代のコンピューターと数値や性能を比較することはもちろんあまり意味のあることではありませんが、現代の多くのコンピューターはここから始まったのだと思うと長い歴史が感じられるよう。はたしていつレストアが完了し、再び稼働することになるのか興味深いところです。

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まとめ

私は転職して富士ゼロックスに中途入社したので、Altoを商用に進化させたStarワークステーションの日本語仕様であるJ Starワークステーションを使って仕事をしていました。ディスプレイは巨大なブラウン管式で本体は机の下に潜り込ませていたので発熱が凄く、夏場は最悪でしたが、そのうちにWindowsにソフトウェアとして移植されたのでこれは解決しました。

今ではGUIとマウスとネットワークは当たり前ですが、当時は最先端のコンピューターシステムを使って仕事ができたので誇らしく思っていました。そしてある日、雑誌のASCIIにマッキントッシュの記事が載っていたのを見たのが間違いの始まりでした。毎週末には秋葉原に通うようになり、とうとう全部で80万円以上を遣ってMacintosh 512Kとディスクやプリンタやソフトなど一式を買ってしまいました。

当時の円ドルレートは360円だったので高額になりましたが、もしアメリカでなら2,200ドルくらいで買えたはずです。

当時のMac画面をブラウザー上で再現するサイトがあるので紹介します。マウスボタンはドラッグ中は押しっぱなしにしてください。

PCE.js – Classic Mac OS in the Browser
http://jamesfriend.com.au/pce-js/

お絵かきソフトは「Mac Paint」というのが付属していましたが、上記の「Kid Pix」とほぼ同じですね。ブラウザーで動かしているせいか、当時のソフトよりレスポンスが遅いので、フリーハンドではうまく絵が描けないです。

この時にすでに、2D/3Dグラフィックソフトや音声合成ソフト、日本語ワープロソフト、音楽作曲/演奏ソフト、表計算ソフト(初代EXCEL)などが揃っていて、実用的なだけでなくプロの仕事にも使われていました。古き良き時代ではありました。

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ではでは、きらやん